Die Zeit Nr.50 9.Dezember 1999 (「ツァイト」第50号 1999年12月9日)
およそ200年前シラーとゲーテは『クセーニエン』でこう問いかけた。「ドイツ、それはいったいどこなのか?」今ではこう問うほうが時宜にかなっている。「ヨーロッパ、それはいったいどこなのか」と。誰が欧州連合に加われ、誰が加われないのか。その境界はウラル山脈か?ドリナ河か?ブク河か?エディルネ(アドリアノプール)やエルゼルムも含まれるのか。それともアナトリア地方すべてなのか?
ヘルシンキのEU首脳会議でEUの指導者たちはこの質問に対し部分的にしか答えられないであろう。一年前からすでに東欧の加盟候補国ポーランド、チェコ、ハンガリー、エストニア、スロベニア、さらにキプロスとも加盟に向けた交渉が進められている。そして今後はさらに5つの東欧諸国と地中海の島国マルタが交渉のテーブルにつくことになっている。その上トルコを再び加盟候補国に昇格させる協定が結ばれることになる。すでに1963年に完全な加盟への道が示されたトルコをである。
東方拡大の前にすでに三度の拡大プロセスがあった。最初は西欧の諸国(英国、アイルランド、デンマーク 1973年)、二度目は南欧諸国(ギリシャ1981年、スペインおよびポルトガル1985年)、三度目は中立国家(オーストリア、スウェーデン、フィンランド 1995年)。東欧諸国の加盟の意義はこれらに劣らない。40年間ソ連の後見下に置かれてきた国々のヨーロッパへの帰還を意味するからである。冷戦が終結した後、西欧は、かつてのギリシャ、スペイン、ポルトガル同様、東欧諸国に対しても加盟を拒むことは許されない。ここで想起すべきは次のヴァーツラフ・ハヴェル(チェコ大統領)の洞察である。「西欧が東欧を安定させないのならば、東欧が西欧の安定を揺るがすことになろう。」現在も今後もEUの東方拡大にまさる安定化の方策はないのである。
しかし必ずしも西欧のすべての市民が同じ見地に立っているわけではない。多くの者が考えるのは、拡大にともなうコストやブリュッセルの連合体が相貌を失うまでに薄まってしまうのではないかという危険、東欧の遅れ(オランダの経済力は全加盟候補国の経済力の合計に勝る)などの否定的側面ばかりである。また東欧やアナトリアから出稼ぎ労働者が流入する事態を恐れる者もいる。150年前にドイツ人が「大ドイツ主義者」と「小ドイツ主義者」に分かれたように、現在「大ヨーロッパ主義者」と「小ヨーロッパ主義者」が対立している。
たしかに懐疑主義者の異論は簡単に片づけることはできない。しかし1500億マルクという東方拡大のコストは本当にびっくりするような額なのだろうか。同じ額を毎年ドイツは旧東独地区の新五州に援助しているのである。もちろんEUが27あるいは30の加盟国を数えるまでに拡大する前に、諸機関や手続きの改革が必要となる。しかしこの改革はすでに行われていなければならなかったものである。出稼ぎ労働者の流入はスペインの加盟の際にも危惧された。しかし懸念は杞憂に終わった。加盟後の経済的ブームが労働者を国内に留める結果となったのである。今回もどうして別の事態となろうか。
新たな加盟交渉が長引くことは間違いない。すべての候補国が加盟目標に同時に到達するわけではない。いくつかの国は移行期間が延びることもあろう。特に居住の自由と農業補助金の問題がネックとなるだろう。どの国も1993年にコペンハーゲンで定められた前提条件を満たさねばならない。すなわち安定した政治機構、人権の保護、円滑な市場経済、および競争に耐える能力である。これはまた候補国に加盟に向けた膨大な努力を要求する。こうした国内の改革には時間がかかろう。加盟の波は一度に押し寄せるわけではない。万事順調に行ったとしても、第一陣の加盟は早くても2003年から2004年となるであろう。
ジャン・リュク・デハーネ、サイモン卿、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーのいわゆる「三賢人」が10月に欧州委員会に宛てた報告書を待つまでもなく、多様性の増す将来の欧州連合には統合プロセスの柔軟化と差異化が必要となることは明らかである。共同体が大きくなればなるほど、そのような分岐化も避けられなくなる。様々の国家が様々の行進速度で共同の目標に向かって進むのである。様々な速度だけでなく、様々の統合レベルも考えねばならない。差異のある統合。すでにこの原則のもとにシェンゲン協定とユーロが実現している。欧州連合の推進力となる、強固な磁石のような中核が存在すれば、こうした相違は決して不都合をもたらさない。
もし私たちが今、小ヨーロッパ的な狭い了見から東の諸国に居場所あるいは母港を提供するのを拒めば、歴史的チャンスをみすみす失うことになる。欧州連合が最終的にどこまで広がるかは歴史の歩みに委ねればよい。軍隊の束縛を脱し、コペンハーゲンの基準を満たした場合、トルコも無論これに含まれることになろう。250万人のトルコ系住民を抱えるドイツ国内の平和という見地からしても正しい選択となろう。誰も自らを窮地に追い込んではならない。トルコの加盟に賛成したからといって、トルクメニスタンの加盟も承認しなくてはならないということではない。あるいは多くの人種の入りまじるウクライナの場合も。しかしキプロスはどうだろう?島の一部を受け入れるのは愚かであろう。むしろEU加盟を、国家間同盟あるいは国家連合という解決に向け、ひとつの手段として利用するのが賢明であろう。ロシアはヨーロッパの一部である。しかし欧州連合には属さない。ヨーロッパとアジアにまたがり、EUに属すにはあまりにも広大すぎる。パートナーとなってもクラブのメンバーにはなり得ない。モルダヴィア、ウクライナ、ベラルーシはどうだろうか。結論を急がず、時を待つことにしよう。いずれにせよ加盟申請の列の最後尾にいることは間違いない。
しかし今私たちは第一歩を踏み出さなくてはならない。冷戦が分断したものを再び融合させるために。この機会を連合ヨーロッパの市民は逃してはならないのだ。
原題:Braucht Europa Grenzen?
Wer Staaten wie die Tuerkei draussen laesst, vertut eine historische Chance / von Theo Sommer
訳:中島大輔(C)